【月刊お正月】日本正月協会広報誌「月刊お正月 第16号」を発行しました。

日本正月協会の「月刊お正月 第16号」を発行いたしました。

月刊お正月 第16号 概要

特集/長崎で新説浮上

 日本正月協会二〇二一年年始の調査活動の中で、長崎県島原市において、お正月飾りについての新たなる説が浮上していることが明らかになった。その新たな説とは「藩主の移動による文化の移動説」である。

年間を通して、家にしめ飾りを飾る文化のある地域があることが、日本全国各地で知られている。長崎県島原市もその一つである。そのような文化ができた経緯については、各地域ごとに諸説考えられているものの、先祖代々そのような文化が伝承されてきたために、由来についてハッキリしていない部分も多々ある。

 島原市の場合、そのような文化ができた背景については、「キリシタンの隠れ蓑としてしめ飾りをつけていた」とする説がこれまで濃厚であった。ところが近年、島原市と愛知県幸田町との姉妹都市提携により、この説に一石を投じる説が浮上しているようだ。

 島原市教育委員会の担当者の話によれば、「これまであまり接点のなかった長崎県島原市と、愛知県幸田町が、四年ほど前に姉妹都市提携をすることになりました。そのつながりで、役所の職員同士が交流するようになりました。その交流の中で、幸田町でも一年中しめ飾りを飾る風習があることがわかりました。このことが、島原の風習にも関係しているのではないか?という見方も出てきています。」とのことだった。

 島原市と幸田町が姉妹都市提携に至った背景には、島原の乱をめぐる政治的混乱の中で、幸田町とのつながりが島原市の一つの大きな支えとなっていたことが関係している。その一つとして、かつての藩主、深溝松平家が、愛知県幸田町から島原に赴任した際に、その家来たちの間に根付いていた「一年中しめ飾りを飾る風習」も共に持ち込まれたのではないか?といった新たなる見解が浮上したのだ。

 しかし、これらを裏付ける文献などは、現在明らかになっていない。日本正月協会も、幸田町や長崎の図書館を訪問し、関連の文献を調査したが、記述は発見できなかった。

 また、現地住民に聞き取り調査を行ったが、住民の間では、こうした風習があることに関心が持たれておらず、また、年間を通してしめ飾りを飾る家でも、その由来などについては把握していないようであった。

 こうした新たなる話題により、地域の文化や伝統に関心が集まり、新たな情報の集まるきっかけになれば、と期待する。また、今後も日本正月協会として、こうした研究には積極的に協力していきたいものである。

踏み絵は「正月行事」だった

 あまり知られていないが、隠れキリシタンをあぶり出すための「踏み絵」、実はこれ、「正月行事」なのである。一六二八年頃から始まった踏み絵は、毎年1月8日頃に行われる正月行事だった。そのため、「絵踏」は春の季語とされている。(なお、厳密には、「踏み絵」とは、踏ませる絵のことをあらわし、絵を踏ませる行為・手法のことは「絵踏み」と呼ぶ。本文においては、厳密さよりも一般的なわかりやすさを重視し、総括して「踏み絵」としている。)こうしたことからも、「正月」と「キリシタン」との関連の深さはうなづけるものであろう。

月刊お正月 第16号 裏面見出し

  • イソギンチャク鍋・その後
  • 2021年の正月県、決定
  • みんな大好きプリン隊

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