日本正月協会 協会長の年始挨拶を下記に掲載いたします。協会代表の簡単なプロフィールも掲載しています。
※本記事は、月刊お正月第64号との同文掲載+追加コンテンツを含んだものです。
地震よりも忘れてはいけないお正月
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。旧年中は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。日本正月協会代表の今成です。
今年二〇二五年は大阪・関西万博開催の記念すべき年となります。日本正月協会は本年五月三日と七月十七日に出展し、新規事業「ARおみくじ」および「認定講師育成制度」を通じて、日本のお正月文化の魅力を世界に向けて発信して参ります。
昨年聞いて、驚かされたのは、お正月の問題が、東京都内の小学校受験で出題されているということでした。お正月の教育活動が、実は「受験対策」でもあるという事実は、喜ばしくもあり、悲しくもあるのが本音ですが、この事実を踏まえ、事業拡大に向けて取り組みます。
お正月文化は、九州の鶴型しめ飾りや香川の村々の獅子舞など、地域ごとに豊かな多様性を持っています。当協会は、これらの価値ある地域文化を体系的に把握し、その魅力を国内外に発信することを使命としております。
本年は万博開催に合わせ、一般の方々にもご参加いただける様々なプログラムもご用意しております。皆様におかれましても、お住まいの地域のお正月文化の再発見と発信にご協力いただければ幸いです。
お正月を取り巻く「甘くはない」社会情勢
このように、私自身、そして、日本正月協会として、希望あふれる発展と飛躍の年になるものと考えております。一方で、社会全体を振り返ると、そう甘くはない現実もあります。
まず、万博自体の開催が成功裏に収められるかという懸念があります。二〇二四年末の現時点でも、イラン等四ヶ国が万博を撤退したという報道がなされています。
続いて、世界から見た日本の立場について。昨年末、フランスの友人と、例年パリで開催されている「Japan Expo Paris」について話をした時、「日本博は年々劣化してきている。入場料は毎年高くなり、偽物の日本製品が展示されていたり、伝統文化に関する出展はどんどん減って、マンガばかりがひしめいている。」という批判が聞かれました。日本の危うい現状が反映されていると思いました。
さらには、「お正月自体」の問題です。ある民間の調査によると、二〇代の若者の十四%もの人が、お正月というものの存在自体を知らないとのこと。原因として、年末年始にお店が普段と変わらず営業していることや、家族関係の悪化が挙げられていました。
そして極めつけは、昨年元旦の地震の影響です。能登半島地震への自粛ムードが、メディアを通して醸成されるのではないかと、強い危機感を持っています。能登半島地震は、確かに痛ましいものでありました。しかし、こうした存続の危機にある日本の伝統文化を差し置いてまで、悼み、祝いを自粛する必要があるかは疑問です。
日本には、「取越正月」という文化があります。これは、江戸時代後期に流行ったもので、今なお存続している文化です。何か悪い事が起きてしまった時に、お正月行事をすることによって強制的に年を改め、気分を一新させようとするものです。(詳細は当協会が二〇二三年に発行した書籍「みんなのお正月全集二〇二三」に掲載しています。)
この風習に倣うのであれば、二〇二四年を一月一日だけで終わりにしてしまい、一月二日から、二〇二五年を始めてしまうような対応もありえたのです。このように私は昨年年始から主張をしてきましたが、右向け右の今の日本で、この話を真に受ける人もいないでしょう。
「お正月はなぜ大事で、おめでたいのか?」を問い直す年に
ところで、一体なぜ、正月は、日本人にとって大事なのでしょうか?歳神様がやってくるからでしょうか?それに対する答えとして、「本来のお正月には、新年を迎える意味だけでなく、みんなの一斉誕生日会の意味がある。」私はこのような見解を、昨年末から発信するようになりました。これは、明治時代まで、日本人が、一月一日に歳をとると考えていたことなどから導出されるものですが、現在では目立った考え方ではありません。
私は、日本正月協会の活動をはじめてから、今日に至るまで、ずっと疑問だったのです。なぜ、かつての日本人にとってお正月はとてもめでたかったのか?そして、それがなぜ今、風化してしまったのか?と。
前述のように「お正月には祖霊や歳神様、山の神様がやってくるからめでたい」とする歳神来訪説もあります。しかし、それはある時代から急に言われ出したこととも言われています(参考:「史料が語る年中行事の起源」)。「歳神様がやってくるからお正月がめでたい」のではなく、「めでたいから歳神様がやってくるのではないか?」というのが私の見立てですが、歳神等への信仰心がおめでたさの由来でないとすると、お正月のおめでたさが一体何に起因しているのかが空洞化してしまうのです。
そして、この疑問は、単なる好奇心だけではなく、「日本正月協会の活動をなぜ続けているのか?」という、協会の活動理念の根幹部に直結しています。
「年が替わるからめでたい」ということだけでは、かつての日本のお正月にかける熱意は説明しきれません。それほど、とてつもなく、かつてのお正月はめでたいものでした。
ただ、年号が変わるという出来事は、あくまで社会の仕組み上のものであり、言うなれば「他人事」です。他人事とは思えないような当事者意識が、かつての正月にはあったように思えるのです。そう考えた時、日本人一人ひとりが自分事として受け止めるようなめでたさとして、「日本人全員の一斉誕生日会だから」との説明は、私自身として腑に落ちるものでした。
そのような機運も、明治以降の法改正により、段階的に「誕生日に歳を取るものだ」と変化し、少しずつ「一月一日は誕生日」という意味合いが薄れていった結果、今のように、なぜお正月がめでたいのかよくわからない形骸化した状態になってしまったのでしょう。
おせちが定番という思い込ませ
「新潟のおせちにはどのような特徴がありますか?」
二〇二四年十二月、農水省を通じてテレビ新潟から、私のところに取材依頼が来ました。(https://news.ntv.co.jp/n/teny/category/life/tea8b4633d564949dd8e7cb908ed9f5cf8)
最初は、「またいつものおせちデファクト化プロパガンダか。」と呆れながら、「新潟ではおせちなんてものは、そんなに食べられていないはずですよ。私はおせちを売りたいおせちメーカーからの刺客ではないので、そういう回答の方向性になりますが、よろしいですか?」
私は率直に返しました。
「やっぱりそうだったんですね!その話、詳しく聞かせてもらっていいですか?」
ん?「やっぱりそう」とはどういうことか?この人は、「お正月の定番といえばおせち」という、メディアがよくやるプロパガンダをしたいのではないのか?と、このお返事は、私の意表を突くものでした。
話を聞くと、新潟の人々に対してアンケート調査をおこなった中で、「どうやら新潟ではあまりおせちを食べられておらず、しかも元日の朝でなく大晦日の夜に食べられている」という事実に突き当たったとのこと。そこで、世間一般に言われているおせちとのギャップについて尋ねようと、当協会に疑問をぶつけてきたとのことでした。
私の見解からすれば、新潟や東北で食べられているのは「おせち」ではなく「年取りの膳」。おせち伝来以前の日本のお正月料理の姿です。昨年末のテレビ新潟への出演は、このような、これまであまり世間に発信する機会がなかった見解を発表するいい機会となりました。関係者の皆様、ありがとうございました。
おせちが主流であるかのような啓蒙は、日本全体からしてみると、本来のお正月文化を忘れさせてしまう、危険な思想の伝播だというのが、従前の私からの見立てです。日本のお正月は、もっと多様性と魅力に富んでいます。
二〇二五年は、こうした、日本人の多くが忘れかけているお正月の姿を、思い出すきっかけの年になってもらえるよう切に願い、活動を行って参ります。
二〇二五年 元旦
日本正月協会 総理事長 今成優太
子どもたちのためにゲーム開発やメタバース開発も
ARおみくじの開発で獲得した技術を応用し、お正月文化の継承と発展のため、ゲーム開発やメタバース開発にも取り組みます。
有機農業促進活動
昨年の年始挨拶の後日談ではありますが、有機農業推進のために新たなWebメディアを興し、更新をおこなっています。
国産SNSの後日談②
一昨年の年始挨拶の後日談ではありますが、国産SNSの必要性を訴えていたところ、2024年年末になり、mixi2というアプリがローンチされました。主要SNSとして、推進していきます。
日本正月協会 総理事長 今成優太 プロフィール
群馬県渋川市出身(41)。日本正月協会の創設者。グラフィックデザイナーとしての実務経験など、情報発信にまつわる様々なスキルを活かして、海外や後世に、伝統文化としてのお正月の魅力を伝える。
日本全国47都道府県を車中泊で訪れ、各地のお正月の郷土文化の魅力を発掘・研究、2023年11月に発表した著書「みんなのお正月全集2023」において、「○○正月が1~12月の各月に存在していたことを明らかにした。」と、自らの研究成果を明らかにした。
農水省認定 和食文化継承リーダー、調理師、応用情報技術者。
趣味は星占い。日課は筋トレとジョギング。好きな四文字熟語は「半額以下」。大手青年マンガで受賞歴アリ。
YouTuber「ミスターお正月」としても活動中。
メディア掲載歴
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