日本の伝統文化、その継承・保存の取組事例:日本正月協会の場合

伝統文化を継承・保存するためにできることは?

日本の伝統文化は、長い歴史の中で育まれてきたかけがえのないものです。しかし、現代社会では、少子高齢化やグローバル化の影響を受け、多くの伝統文化が衰退の危機に瀕しています。

そんな状況を打開すべく、全国各地で様々な取り組みが見かけられます。そうした中で、当日本正月協会の取組は、ひときわ異彩を放っていると考えます。

こちらの記事では、伝統文化継承・保存のために、当協会がおこなっている各種の取組事例を、代表者自らがご紹介します。

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日本の伝統文化とはそもそも何か?【日本の伝統文化の類型】

日本の伝統文化とはそもそも何でしょうか?

日本の伝統文化とは、日本の長い歴史の中で育まれ、受け継がれてきた様々な文化のことを指します。具体的には以下のようなものが含まれます。

1. 芸能

  • 演劇:歌舞伎、能楽、文楽
  • 音楽:雅楽、邦楽、民謡
  • 舞踊:日本舞踊、琉球舞踊
  • その他:講談、落語、紙切り

2. 工芸

  • 陶磁器:伊万里焼、九谷焼、信楽焼
  • 漆器:輪島塗、金沢塗、会津塗
  • 織物:西陣織、京友禅、加賀友禅
  • その他:金箔、竹細工、和紙

3. 行事

  • 年中行事:正月、節分、雛祭り、端午の節句、七夕、お盆、彼岸
  • 祭礼:祇園祭、山笠、ねぶた祭り
  • その他:成人式、七五三、結婚式、葬式

4. 衣食住

  • 衣:着物、浴衣、袴
  • 食:和食、寿司、天ぷら
  • 住:和風建築、茶室、書院造

日本の伝統文化は、長い歴史の中で培われてきたものです。現代社会においても、これらの文化は大切に受け継がれていますが、近代化の流れの中で、次第に廃れてきているものも少なくありません。なお、日本のさまざまな伝統文化については、以下の記事にも一覧を掲載しています。

日本の伝統文化が受け継がれてきた背景と、消滅してきている背景

日本の伝統文化は、なぜ受け継がれてきたのでしょうか?そして今、なぜ途絶えつつあるのでしょうか?日本の伝統文化が長い間受け継がれてきた理由として、以下のような背景が考えられます。

  1. 精神的・宗教的な意義 伝統文化の多くには、祖先崇拝や自然への畏敬の念、無病息災や五穀豊穣を願う祈りなど、人々の精神生活に深く根ざした意味があり、大切に守り伝えられてきました。
  2. 生活や生業との密接な関わり
    農耕文化における行事や、職人技術の継承など、伝統文化は人々の生活や生業と深く関わっていたため、実生活の中で自然と次世代に伝承されていきました。
  3. 地域コミュニティの一体感の象徴
    祭りやしきたり、郷土芸能は、地域住民を結びつける大切な役割を果たし、地域アイデンティティの形成に寄与してきました。

一方で、近年の伝統文化の衰退には、以下のような要因が指摘されています。

  1. 生活様式の変化 核家族化や都市化が進み、家族や地域のつながりが希薄化。伝統を継承する機会や動機が失われつつあります。
  2. 価値観の多様化
    物質的な豊かさや合理性を重視する風潮の中で、伝統の持つ精神的価値が見過ごされがちになっています。
  3. 後継者不足 伝統芸能や職人技術の継承が難しくなり、熟練した指導者が減少しています。経済的な魅力も乏しいことが後継者不足に拍車をかけています。

このように、時代の変化とともに伝統文化を支えてきた基盤が揺らぎ、継承が困難になってきている実態があります。伝統の本質的な意義を再認識し、現代に合った新しい形で継承していくことが課題となっています。

日本の伝統文化、その継承における障壁

日本の伝統文化を語る時、多くの知識人が、「知識や教養」「精神性」または「エンターテイメント性」といった側面を切り口としているようです。それももちろん、大切なことだとは思いますが、それ以外にも大事なことが様々にあります。私はこれまで、日本正月協会として活動してきた中で、それをつぶさに感じてきました。

日本の伝統文化の「意図した形態伝承」と「意図しない形骸化」

日本の伝統文化には、「なぜそれが大事か?」が、伝えられていないものがあります。「なぜそれが大事か?」が、なぜうまく伝承されてこなかったのかの背景には、大きく二つに分けられるのではないかと私は考えています。それが、「意図した形態伝承」と「意図しない形骸化」です。

「意図した形態伝承」

「意図した形態伝承」とは、「なぜそれが大事か?」の意味を、わざと隠して、カタチや作法だけを後世に伝えている伝統文化のことを指します。なぜ、意味を隠しているかというと、それは例えば、「敵に知られて悪用されるとマズイから」といった理由です。

例えば、「他人を呪い殺す方法」があるとしましょう。現代人にわかりやすいたとえとして、例えば「デスノート」のようなものがあるとしましょう。これは、味方が敵に対して使用すれば強力な武器になりますが、敵が味方に対して使用してきたら、生命をおびやかす危機的な脅威となります。だから例えばもし、誰かがデスノートを使っている様子を他の誰かに見られ、「なぜそんなことをしているんですか?」と聞かれても、「他人を呪って殺すため」などとは言わないでしょう。

そのように、重大な意味があればあるほど、その意味を正しく後世には伝承させず、本当の意味を隠して、カタチだけを後世に伝えていることがあります。ほかの例でいえば、「お城に悪いものが入ってこないように結界を作る方法」などは、そのいい例です。

その方法を後世に教え解いていかなければ、結界が破られてお城に悪いものが入ってきてしまう。けれども、「結界を作っている」などという話が敵に広まってしまえば、それをやっている人たちの命が狙われてしまいます。なので、意味をハッキリとは伝えず、「お前たちはとにかくこれをやりなさい」などと伝承する。その結果、「なぜそれをやっているかわからないけど、とにかく親から引き継いだものだから続けている」といった状況が生まれます。これが、「意図した形態伝承」です。

「意図しない形骸化」

さて、その一方で「意図しない形骸化」とは、「意味を伝え忘れたり、伝えるのがヘタクソで、なぜやっているのかわからなくなってしまった伝統文化」のことです。そのようにして意味がうまく伝承されず、次第に本来の意味や目的が失われて、形式や形骸だけが残ってしまった伝統文化を指します。

例えば、お正月の伝統文化の代表的なものとして「おせち料理」があります。おせち料理は、もともと、お正月にやってくる神様やご先祖様と正月の楽しい時間を共有し、一年を健やかに過ごそうという「神人共食」の意味が込められていますが、その意味は次第に忘れられ、「昆布はよろこぶのコブ」といった、個別の語呂合わせの意味に注目が集まっています。

このように、日本の伝統文化の中で、本来大切な意味や精神性があったものの、意味が正常に伝承されず、カタチばかりとなってしまったもののことを「意図しない形骸化」と私は表現しています。

意味や意義が失われると、意思すらも消えてしまう

「意図した形態伝承」と「意図しない形骸化」、どちらも結果として「意味や意義が忘れられてカタチばかりになってしまった伝統文化」ではありますが、意味や意義が失われれば、それと共に「やろうという意思」すらも消えていくことにつながります。そうならないためには、意味や意義の理解を促す必要があります。

しかし、「意図した形態伝承」について、意味を伝えてしまうと、前述のように、危険を伴う場合があります。なので、日本の伝統文化の全てについて、わかっていてもその意味を語り伝えることが難しい場合があるのです。そのため、私は、日本正月協会の活動の上では、一つ一つの意味を伝えることなく、日本の伝統文化であるお正月の魅力を世界にお伝えする「意義」だけをお伝えしていることが常々あります。

それは「国際相互理解」だとか「地域の魅力を発掘・発信」といったような言葉です。それらは日本の伝統文化たるお正月の魅力を発信する「意義」ではありますが、お正月の「意味」ではないのです。

伝統文化への「憧れ」を生み出す!継承と保存のためのコンセプト

当日本正月協会がこれまで調査してきた中で、伝統文化が衰退している原因には、様々な理由があります。

  • 生活様式が昔と大きく変わってしまい、現代人が接点を持ちづらくなった
  • 家庭崩壊が起き、親から子へと伝統文化が継承されなくなった
  • 伝統文化をやる意味を伝えられる人が少なくなったため、やる理由がわからず、取り組まない

こうした状況に対して、様々な対策が講じられてきました。

日本正月協会が注目しているのは、「かつては演者の社会的地位の向上に貢献していたものが、現在では貢献しなくなってしまった」という現実です。

例えば、埼玉県川越市の餅つき踊りは、お殿様を喜ばせるためのささげものとしてはじまり、今なおその風習が残っています。

では、喜んだお殿様は、喜んでそのまま立ち去っていったのでしょうか?その後のいきさつは十分に調査・検証できている段階ではありませんが、おそらく、餅つき踊りを舞った人たちに対し、なんらかの「ごほうび」をプレゼントしたのではないかと想像しています。

「ご褒美」というのは、おいしい食べ物や金品であったかもしれませんし、演者の出世や社会的地位の向上であったかもしれません。いずれにせよ、演者たちに何らかのメリットがあったからこそ、毎年の恒例行事となり、今なお続いているものと、私は考えています。

これまでの民俗学研究では、伝統行事の内容については、掘り下げた研究がなされてきましたが、それを取り巻く人間関係がどうであったか?といったことについては、十分に研究・検証がなされていないのではないかと思います。(とはいえ、金銭授受の内訳といった大人の話は、調べて出てくるようなものとは限らないので、やむを得ないことではありますが)

このように、私の想像するところによれば、日本の伝統行事がうまれ、存続している背景には、五穀豊穣・子孫繁栄・無病息災・健康長寿・厄祓い、といった言葉にまとめられた、祈りの意味だけではなく、そうした御利益があるとされる行事を有力者に捧げることで、演者たちの「立身出世」や「商売繁盛」につなげようとする、より実用的な御利益があったのではないかと考えています。

現代の課題

こうした状況を踏まえて、現代の伝統文化のありようを振り返ってみると、果たして伝統文化を継承したことを理由として、出世した人間が、最近いたでしょうか?

古い時代、おそらく、幕末までは、そのような人も少なくなかったのではないかと、私は想像しています。なぜならば、江戸時代が終わり、明治時代に入ってから、明治政府が陰陽寮を廃止し、学校教育制度を整えたからです。

江戸時代までは、陰陽師という占い師が行政の重要な役職であり、それに付帯する様々な日本の「祈り」にまつわる伝統文化は、人の立身出世にとっても大事なものだったと想像しています。明治政府が陰陽寮を解体したことで、その人々の価値観にも、大きな変化がもたらされてきたのではないかと考えます、

また、明治政府が学校教育制度を整えてきたことで、学歴が、人の出世に大きく作用するようになってきました。

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